dededenodenの日記

新聞、読んでみます。

24日目

埼玉→朝日→毎日→日経→読売

レオパレス建設アパート施工不良問題。/竹田JOC会長きょう退任表明。/ゲノム編集食品、夏にも食卓へ。/キトラ古墳壁画、国宝へ。

朝日:Apple Music vs Spotify.IT大手の市場独占の声が高まる中で、音楽配信大手競合同士が対立した。Spotify側はAppleの立場は競合相手である自身に対して不平等を生じさせていると批判、Apple側も反論し対立した。エリザベス・ウォーレンがIT大手の解体論などを提示している中、これら寡占状態については今後も議論が高まりそうだ。

特派員メモ。イラン、テヘランの大気汚染。今年は少なく学校の休校もほぼ無かった。喜ばしいことだが、子供達は不満げ。大人も子供も綺麗な空気を喜ぶ、そうならないものか。子供達の環境への関心が薄いことに驚いた。

政治、環境問題、辺野古問題、全ての問題に対して多くは無関心。そしてどこか遠く離れた視点から物事を捉えようとする。当事者意識を持つにはどうすればいいのか、一気に身近になりしっかりと考えるようになる道は?それは自分のコミュニティにそうした存在が生まれること。たくさんの友達や知り合いのをつくり、その人々の地域や背景を元に世界中の問題を捉えることはできるだろう。一方でそれは非常に困難な方法だ。そこで重要なキーマンとなるのが新聞だ。単純に情報を発信する装置としての存在ではなく、新聞の記事の裏にある記者それぞれの人間としての考えに共感してもらうことで自分のこととしてものごとが捉えるようになるのではないか。共感を生み、色々な社会へと人々をつなげる装置として新聞記者の役割は大きい。一方であらゆる情報が氾濫する世の中で質の高い情報メディアとしての信頼を確立しなければ意味がないが。

教育、保護者参加型の宿題に戸惑い。親の学歴や職業など。子供は多感だからあまり触れて欲しくないナーバスな部分があると思う。なんたって子供にとって両親は最も信頼できる大人であり、自分のアイデンティティの多くを担っているはずだから。想像力が欠けている。

毎日:野田聖子さんの言葉。この国では心身ともにある程度強くなければ生きていけない。物申せない弱者がどれだけ生きづらいか、息子から教わり私は震撼させられた。その解消が私の最後の務めだ。

インドネシア、違法な森林伐採で洪水誘発、80人程度が死亡。

震災遺構について。解体に賛成する人の意見、このまま残したとしても街として前に進むことが出来ないと思う、納得。未来に向かって前に進むことを優先するときには苦渋の決断で過去を切り捨てなければならない時もある。

日経:賃金水準、世界に劣る。日本は終わりつつある。最後の誇りは豊かな自然、ただそれだけだ。

太陽光発電、つくりすぎを乗り越えろ。九州は日本の太陽光発電の2割弱を担う。春、秋は需要が減るため発電量が多いとバランスが崩れてしまう。

5Gに代表される高度な通信技術と世界の情報市場を加算する海外大手IT企業によって、グローバル化は完全に終了して、国家の枠組みは無くなるかも。そして国民という枠組みから離れた個人が各々自らの力で生きていかなければならない超競争社会が訪れるのでは。大変な時代だ。

パリはずっとデモ。

気候変動(自然災害や温暖化)、事業リスクに。山火事への保険支払いや土砂災害による工場破壊など去年多くの企業が気候変動によるリスクを被った。

ノリ、半世紀ぶりに不作。収穫量15パーセント減。水温上昇で育たず。寒い冬程育つが今年は水温が高く、また降水量も少なかったため川からの栄養分が不足した。40年ぶりの高値を出している。

ブルーエコノミー、アフリカの潜在力。アフリカは多くの国が沿岸地域に即しているが、域内総生産における漁業、養殖業の年間生産額は1.6パーセントにとどまる。ここでブルーエコノミー大国である日本には大きな期待が掛けられている。生産技術や船舶の管理、関連インフラの整備など日本がアフリカへ教えられることは多い。ブルーエコノミーは持続可能性に重きをおくコンセプトである。適切なルールで漁業を管理するなどして安心して魚を口に入れられる海を維持しなければならない。

若者の教育。本人が痛い目に遭い、これはまずいと思うのでなければ勉強する気にもならないし身にもつかない。若者よ、頭を垂れるなとさ。

読売:特別警報、エリア細分化。

小学校に教科担任制。

国際面。NZ銃乱射は反移民の芽を産むと社会が分断される。特に不動産購入を進める中国系移民への反感が高まる可能性があるという。また、新疆テロ対策の白書、台湾与党の独立派として人気の高い頼さんの総統選出馬意向。またEUが域内への過度な投資を行う中国への戦略的な議論を行ったというニュース。国際面の3/4を中国が占める。国力と影響力が世界中に及んでいる。

偶然の出会い、ぴあの役割。実際に雑誌がなくなってみると情報は検索で探せるものだけではないという問題意識が生じてきた。確かに、情報には偶然のものが多い。今の自分も昔に偶然出会った情報によって人格が形成されたり、好みが生まれたりしているかもしれない。特に生まれた環境や触れ合う大人の存在は子供にとって偶然の賜物だ。偶然の機会を提供する紙の媒体だったり、いろんな情報を個人の嗜好性に関係なく提供できるメディアの存在はより重要性を増しているのではないか。