dededenodenの日記

新聞、読んでみます。

17日目

朝日→毎日→埼玉

朝日:東日本大震災の話多く。読売新聞の記者が何を見たかという震災ルポを見た後に読んだので、涙こぼれそうであった。震災取材は歴史の記録という点で非常に有意義かもしれないが、私が理想とする人の心を歴史として残す行為は出来ないかもしれない。自然という圧倒的な存在に理不尽に命を奪われた人々、悲しみにくれる人々の心に寄り添うことができるほどの理解は可能なのだろうか。他者がいきなりそれを見つめることは不可能ではないか。過去の長い繋がり、もしくは災害後の長い繋がり、これが本当に大切だ。災害取材の基本はその瞬間を歴史に残すことではなく、長い関係の中で心情を残し、被災者を癒していく捌け口になることだ。そしてその前提の上に歴史として残し、後世の子供達に完璧な理解をさせることだ。後世への理解が完全に行われる上で大切なこと、それは具体的な被災者の心情の変化などを克明に記すことではないか。

防具と凶器。アメリカンフットボールの話。安全性を高めるためにヘルメットがどんどん大きくなってきている。その一方でそれは重く強い凶器ともなりうる可能性があることを示唆。この防具と凶器の関係性はスポーツに限った話ではなく、ビジネスとも国際関係の問題でもこのジレンマに対して答えを探さなければならない。

辺野古移転も透析中止事案も善悪で考えてはならない。多様な視点と意見の元、自身が当事者、もしくは当事者になりうると想像した中で議論しなければならない。

本当の幸せとは?一体何なのか。成長の先にあるものなのか。

毎日

一面。妻と三人の子供を失って、今なお見つかっていない久保田さんは雨に濡れながら天を仰ぎ手を合わせた。彼女たちの寒さに比べたらこんなものはどうでもない。雨に濡れた髪静かに祈る彼の表情からは心の落ち着きを感じるも、曇天の灰色が未だ続く震災の悲壮感を心に突き刺す。毎日新聞の一面、非常に良い。平成最後の年やはり一番考えなければならないのは震災で浮き上がってきた今後の日本人の幸せについて。毎日はそれを提示しているかのように一面にどでかくその写真を持ってきた。

脅威の記録を誰が伝えるか。新聞やテレビができることはたかが知れている。歴史資料として残すことはできるが心に残すことは出来ないと思う。必要なことは教育ではないか。被災して心に何が伝えたいモヤモヤしたことがある人々を被災地以外の各地の小学校や中学校に呼び、教師としてその記録を口頭伝承することで子供達は実際の問題として災害を捉えることが出来るのではないだろうか。百聞は一見にしかず。何事も当事者と触れ合うことで本当の議論の場に出ることができるように感じる。

谷垣禎一さんと杉浦佳子さんの対談。パラ自転車で感じる風。最近の暖かい春風にうきうき。谷垣禎一さんは頸髄損傷で障害を抱え、政界を引退しました。弁護士を経て長く政界で活躍してきた谷垣さんだからこそ、障害者という新しい視点で政界に戻ってきてほしいとなんとなく思うんです。

辺野古移転問題。沖縄に対案を求めるのではなくて、一緒に考えていかなければならないのでは?

埼玉

共同の記事を読む。

横山秀夫『どんなことにも、たった今、この瞬間に反応しなければならないような強迫観念が広がっているのでは』『瞬時に反応せずにのみこんで、自分の中で循環させる大切さもあるんじゃないか。後になってきづくものの蓄積が人生ってものですからね』

オスロ共同、ジャンプ男子小林選手おめでとう!嬉しいニュースが悲しいニュースを凌駕する人も多いと思います!